大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和54年(う)490号 判決 1982年1月21日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中九〇〇日を原判決の刑に算入する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人加藤満生、同猪狩庸祐、同沼尾雅徳連名提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意第一について

所論は、原判決は理由を付さず又はその理由にくい違いがあり、刑訴法三七八条四号の事由があるから、破棄されるべきであるとし、原判決挙示の証拠によつては原判決記載の犯罪事実を認定することができず、被告人の自白は矛盾、不合理に満ちたものであつて信用することができないし、補強証拠の存在も肯定できないと述べ、犯行の動機、犯行現場到着時刻とアリバイ、犯行時刻ないし被害者の死亡推定時刻、殺害の手段等の諸点につき、原判示事実自体、あるいは原判決の認定事実と挙示する証拠との間、又はその証拠相互の間に各種の矛盾、不合理が存在し、理由不備又は理由のくいちがいがあるとして、種々詳論するのである。

そこで、原審記録ならびに証拠物を調査検討すると、原判決が掲げている各証拠を総合すれば原判示どおりの「犯行に至る経緯等」および「罪となるべき事実」を十分に認定することができるのであり、原判決に刑訴法三七八条四号前段又は後段所定の事由があるとは決して考えられない。証拠の評価や事実認定に関する当裁判所の判断の詳細は、控訴趣意第三の事実誤認の主張に対する判断として後述するとおりであるが、理由不備ないし理由そごをいう所論の諸点についての判断を示せば以下のとおりである。

1  先ず、所論は、被告人が犯行当時まで被害者に対し未練の情を絶ち切れないでいたとする原判決の認定は、なんら証拠に基づかないものであり、犯行の動機に関する原判決の判示事実自体にも矛盾が内包されているとする。しかし、被告人が本件犯行当時まで被害者瀬川とく子に対し未練の情を絶ち切れないでいたことは、被告人の司法警察員に対する昭和五二年八月二七日付、同月二九日付各供述調書、検察官に対する同年九月六日付供述調書、被告人の原審第一五回公判における供述、野沢きぬ江の検察官に対する供述調書、原審第五回公判における証人大橋とも子の証言などの各証拠から優に認め得られるところであり、原判決が「嫉妬の念を煽られるとともに同女に対する怒りが昂じて逆上し」殺意をもつて被害者を死亡させたと認定している点も、なんら不自然、不合理なものではなく、説明に欠けているとみることはできないから、動機の点についてなんら理由不備、理由そごはない。

2  次に、所論は、被告人の現場到着時刻とアリバイに関し、原判決の掲げる各証拠相互間には重大な矛盾があり、右各証拠を総合しても、原判示の事実を認定することはできず、被告人のアリバイ主張を排斥することはできないとする。しかし、原審における証人大月昇、同野口真一の各証言、証人早坂照一に対する尋問調書、野口真一の検察官に対する供述調書等の各証拠によれば、原判示事実(罪となるべき事実ないしアリバイについての判断)のとおり、被告人は昭和五二年五月一八日午前一時三〇分ころ原判示野尻荘付近で同僚の野口らと別れたこと、被告人がその後野尻荘に帰つたのは同日午前四時三〇分ころであることを優に認定することができるのであり、右各証拠相互間に重大な矛盾があるとは考えられない。右大月、野口らの証言や供述調書は、詳細かつ具体的であり、同人らは当夜一緒に調理師試験の勉強をしていて、しかも、その間に友人の大野純夫からの電話を受けたり、勉強を終えてから始発電車に乗るため出かけたりしていることなどの供述内容からしても、十分に信用できるものと認められる。また、所論は、原判決の認定によれば瀬川が帰宅したのは当夜の午前二時一〇分ころになるところ、前記野口証言からすれば被告人が瀬川方に着いたのは午前二時前になるのであり、この点も証拠間に重大な矛盾があるとする。しかし、原判決の認定(有罪と認定した理由の一)は、瀬川が午前二時五、六分ころ自宅のマンシヨン近くの路上でタクシーから下車したというのであり、その時刻はおおよそのものといわなければならず、また、被告人の右マンシヨン到着時刻については、前記のとおり、午前一時三〇分ころ野尻荘付近で同僚と別れたのであるが、その後タクシーをつかまえて乗車するまでの時間、タクシーの走行時間(この点につき司法警察員作成の昭和五二年九月五日付実況見分調書―原審記録第四冊669丁、以下数字だけ示す―がある。)、下車してからマンシヨンに入るまでの時間等を考えれば、所論のように午前二時前になるということはできず(被告人の捜査官に対する自白調書では、午前二時すぎあるいは午前二時ころと述べられている。)、証拠間に重大な矛盾があるとはいえない。なお、所論は、瀬川の死亡前における飲酒のことを問題にするのであるが、所論指摘の安田春男作成の昭和五二年九月八日付鑑定書からすれば、瀬川が死亡前に相当量飲酒したもののようにみられるけれども、同女の死体を解剖し、血液中のアルコールを検査したが、その存在は証明されなかつたという齊藤銀次郎作成の鑑定書、瀬川はアルコール類をほとんどたしなまなかつたとする証人梅沢荘三郎、同武井和彦、同大橋とも子の各証言等からすれば、前記安田鑑定書の記載内容はなんらかの誤りによるものと認められるのであり、この点についても証拠上特に問題があるとは考えられない。

3  また、所論は、原判決が本件の犯行時刻および被害者の死亡推定時刻を五月一八日午前三時ないし四時ころと認定している点につき、被告人の公判廷外の自白以外には右認定を裏づける証拠がなく、原判決挙示の各証拠によれば右死亡推定時刻は同日午前五時ころと認められるから、原判決には理由のくいちがいがあるというのである。しかし、所論の指摘する鑑定書、検視立会報告書、検視調書、死体検案調書等に記載されている死亡推定時刻はいずれもおおよその推定によるものであり、精確なものではないのであるから、原判決の認定した犯行時刻が右の各証拠と矛盾するということはできない。原判決が被告人の捜査段階における供述やその他の各証拠を総合して犯行時刻を午前三時ないし四時ころと認定したのは、証拠に照らし是認できるところであり、原判決に所論のような理由のくいちがいはない。

4  さらに、所論は、原判決が「頸部を両手で力一杯絞めつけ、よつて……同女を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害した」と認定している点につき、被告人の公判廷外の自白を除けば、右事実を認定するに足りる証拠がなく、かえつて、各証拠を総合すれば、被害者の死因は幅広い布様のものによつて絞殺されたものと認められるのであるから、原判決には理由不備ないし理由そごがあるというのである。しかし、被告人の捜査段階における供述、齊藤銀次郎作成の鑑定書その他の各証拠によれば、原判示の右事実を十分に認定することができるのであり、原判決に理由不備や理由そごがあるということはできない。

以上のとおりであるから、原判決に刑訴法三七八条四号前段又は後段所定の事由があるとは考えられず、論旨は理由がない(なお、所論は、控訴趣意第一の三において、原審証人渡部達郎の供述が信用できないことや同人のポリグラフ検査に関する証言は証拠能力がないことなどをいうのであるが、独立の控訴趣意には該当しないので、ここでは判断を加えない。)。

二  控訴趣意第二について

1  所論は、原判決には訴訟手続に関する法令違反があり、その違反が判決に影響を及ぼすことは明らかであるとし、その理由として、先ず、被告人は昭和五二年六月七日から一一日までの間令状なしに実質上身柄を拘束されていたものであり、右は憲法や刑訴法の定める令状主義を潜脱した違法な拘束であるから、その拘束中に得られた自白は証拠能力を有しないものというべきところ、原判決は右拘束期間中に得られた被告人作成の答申書や被告人の各供述調書を事実認定の証拠としているのであつて、右は判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反にあたる、というのである。

そこで、原審記録を調査検討し、当審における事実取調の結果をも合わせて判断すると、原審証人渡部達郎、同舘作美の各証言、被告人作成の昭和五二年六月七日付答申書二通(五―1006、1333)、被告人の司法警察員に対する同月八日付供述調書、被告人作成の同月同日付答申書ならびに同月九日付書面、被告人の司法警察員に対する同月一〇日付、一一日付各供述調書(六―1571、1623)、被告人の原審第一六回公判における供述、当審で取調べた生原登志子作成の身柄請書等の各証拠によれば、本件の捜査に当つていた警視庁捜査一課ならびに高輪警察署の司法警察員らは、昭和五二年六月七日任意同行の形式で被告人を高輪警察署に出頭させ、同日から同月一一日までの間、同署で任意捜査として被告人の取調を行なつたこと、六月七日の夜取調が終つた際、被告人から「寮には帰りたくないから警察かどこかに泊めてくれ」との申出があつたので、前記警察員らは、高輪署の近くにある日本鋼管の宿泊所に依頼して被告人を同所に宿泊させたが、自殺防止等の配慮から四、五名の警察官を同宿させたこと、翌日以後も被告人は寮に帰りたくないということなので、警察員らは、八日夜はホテルメイツに、九日と一〇日の夜は東京観光ホテルにそれぞれ被告人を宿泊させたが、警察官を同宿させてはいないこと(ただしホテルの周辺に警察官を張り込ませていた)、右各宿泊の代金は、一〇日の分を除いて、警察が支払つていること、警察署と宿泊所、ホテルとの往復には連日警察の車が用いられたが、最後の一一日の朝だけは被告人が自分で署に出頭したこと、右七日から一一日までの取調の間において、被告人は、初めは犯行を否認し、七日の夜から一〇日までは自白していたが、一一日に再び否認するに至つたこと、前記警察員らにおいては、被告人が右のようにおおむね自白していたものの、捜査に慎重を期し、逮捕には踏み切らず、一一日に被告人の母や兄を高輪署に呼び、被告人を一緒に帰郷させたこと、以上のような事実を認めることができる。被告人は、原審第一六回公判において、取調の刑事から警察の用意するところに泊れと言われ、仕方がなくそれに応じた旨供述するが、前掲の各証拠に照らし措信することができない。右の認定事実によつてみれば、被告人は前記六月七日から一一日にかけて警察の庇護ないしはゆるやかな監視のもとに置かれていたものとみることができるけれども、実質上その身柄が拘束されていたものということはできず、その間になされた取調は任意捜査の範囲を超えるものとは認められないから、違法な身柄の拘束が行われたとする所論は、前提において失当といわなければならない。従つて、原判決に所論のような訴訟手続の法令違反はなく、論旨は理由がない。

2  次に、所論は、被告人の警察官に対する自白は暴行、脅迫、誘導の結果によるものであつて任意性がなく、検察官に対する自白も、警察における暴行、脅迫の影響から脱し切れない状況下でなされたものであるから、やはり任意性がないというべきであり、原判決がこれらの自白を内容とする各供述調書や被告人作成の答申書、上申書を事実認定の証拠として採用したのは、証拠能力のない証拠を証拠としたものであり、訴訟手続の法令違反にあたる、というのである。

そこで、原審記録を調査検討し、当審における事実取調の結果をも考え合わせて判断すると、原判決が事実認定の証拠として掲げている被告人作成の各答申書ならびに上申書、被告人の捜査官に対する各供述調書(ただし、司法警察員に対する昭和五二年六月九日付供述調書は存在しないし、同年八月二三日付供述調書は犯行を否認する内容のものであるから、これらを除く。)は、いずれも被告人の捜査段階における自白を内容とするものであるところ、右各書証の形式、記載内容、関係各証拠との対比、原審証人渡部達郎、同舘作美、同外山博司、同山本達雄の各証言によつて認められる取調状況等の諸点からして、右の各自白の任意性はこれを十分に肯定することができるものというべきである。被告人は、原審ならびに当審公判廷において、取調をした警察官から種々暴行、脅迫をうけた旨供述しているのであるが、前記渡部、舘らの各証言に照らし信用することができない。そのほか、被告人の捜査段階における自白が任意になされたものと認められる理由は、原判決が「有罪と認定した理由」の二(二)において「自白の任意性について」と題し説示しているとおりであり、原判決が被告人の各供述調書や答申書、上申書を事実認定の証拠とした点になんら訴訟手続の法令違反はなく、論旨は理由がない。

3  また、所論は、原審が弁護人からなされた被告人の自白の任意性、信用性に関する証人渡辺照子、同加藤満生、同生原登志子、同生原孝の各取調請求を却下し、同じく弁護人からなされた本件被害者の死因、兇器等に関する鑑定申請を却下した点につき、それらは訴訟手続の法令違反にあたり、その法令違反が判決に影響を及ぼすことは明らかであるとする。しかしながら、原審記録を調査検討しても、原審が所論の各証人取調請求や鑑定の請求を却下した点に違法のかどがあるとは決して考えられず、論旨は理由がない。

三  控訴趣意第三について

所論は、原判決には種々の点において事実誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるとする。

そこで、原審記録ならびに証拠物を調査検討し、当審における事実取調の結果をも考え合わせたうえ、所論の諸点につき順次判断を加える。

1  所論は、先ず、原判決が、被告人は昭和五一年一二月三一日に瀬川と離別することを決意しその後小山内則子と交際していたが、依然として瀬川に対する未練の情を絶つことができず、本件の当夜瀬川方に赴いた旨の事実を認定している点につき、各証拠からは右のように瀬川に未練を残していたことを認めることはできず、右の認定は矛盾と疑問に満ちたものであるというのである。

そこで、所論について判断すると、原判決が掲げる各証拠を総合すれば、原判示どおりの「犯行に至る経緯等」および「罪となるべき事実」を十分に認定することができるのであり、原審で取調べたその余の証拠ならびに当審における事実取調の結果を考え合わせても、原判決の事実認定に誤りがあるとは考えられない。もつとも、各証拠によれば、被告人が原判示のように野村栄一方を訪ねて同人やその妻に会つたりしたのは昭和五二年一月上旬のことであり、瀬川に手紙を出したり電話をするなどしたのも同月ころのことであつて、原判示の小山内則子を伴つて原判示「東友」を訪れたのは同年二月上旬ころおよび同年五月一〇日であると認められるから、右二月から五月までの約三か月間は、所論指摘のように、被告人は瀬川と特に親密な接触をしていなかつたことが明らかである。しかしながら、右三か月の間においても、被告人は瀬川のことを忘れ去ることができず、原判示のように五月一〇日夜「東友」で瀬川から話を聞き、同女のことが一層気にかかるようになつたものであることは、被告人が司法警察員に対する昭和五二年八月二七日付(その第二項の2)、八月二九日付(第一項の1)、九月二日付(一〇枚綴りのもの、第二項)、同年六月一〇日付(第一一項)、検察官に対する同年九月六日付(第一二項)各供述調書、被告人の原審第一五回公判における「(昭和五二年五月ころ)瀬川のことを完全に忘れ去ることはできませんでした」との供述、野沢きぬ江の検察官に対する供述調書(第九項)等の各証拠から十分に認め得られるところである。右の二月から五月にかけての期間被告人が小山内と親密な交際を続けていたことや本件発生当時被告人が淋病に罹患していたことなどによつても、右の事実認定を左右することはできない。また、野沢きぬ江の前記供述調書は、右事実認定に添うものとしてその証明力を十分に認めることができるのであり、その証拠価値を否定すべきものとする所論は採用することができない。

以上のとおりであるから、原判決の事実認定が所論のように矛盾と疑問に満ちたものということはできず、論旨は理由がない。

2  次に、所論は、原判決が、本件当夜被告人は瀬川方に赴き、同女に話をしたところ、同女から原判示のようにすげなく言い返されたことに憤慨し、同女の左頬を殴打し、さらに寝室に逃げ込んだ同女の後を追つたが、寝室のベツドが新しくなつていることに気づいて同女と野村との生活が脳裡をかすめ、嫉妬の念を煽られると共に同女に対する怒りが昂じて逆上し、本件犯行に及んだ旨認定している点について、右認定事実自体矛盾に満ちたものであり、原審で取調べた各証拠からは右のような事実を認定することができず、事実誤認であるという。

しかしながら、原判決の事実認定に誤りがあるとは認められないことは前述のとおりであり、犯行の直接の動機に関する原判決の認定事実が、それ自体矛盾に満ち納得できないものであるということはできない。原判決の認定するような動機、経緯によつて被告人が本件犯行に及んだことは、被告人の司法警察員に対する昭和五二年八月二七日付(第二項の9、10)、同月二九日付(第一項の6、7)、九月二日付(二三枚綴りのもの、第九項)、検察官に対する八月三一日付(第六項)、九月六日付(第一四、一五項)各供述調書、被告人作成の同年九月一一日付上申書によつて明らかに認められるところである。右被告人の各供述調書や上申書に記載された自白の任意性を肯定すべきであることは前述のとおりであり、また、右自白は、本件犯行当時瀬川が原判示の野村と親密な関係にあつたこと(野村栄一の捜査官に対する各供述調書、大橋とも子の原審における証言、野沢きぬ江の検察官に対する供述調書等から明らかである。)、右野村は昭和五二年一月五日セミダブルベツドを家具店から購入し、それが同月一二日瀬川方に搬入されたこと(野村の前掲各供述調書、山本久方の司法警察員に対する供述調書により明らかである。)、瀬川が本件当夜頸部圧迫による窒息により死亡していること(原審証人梅沢荘三郎、同齊藤銀次郎の各証言、右齊藤作成の鑑定書等から明らかである。)など、証拠により客観的に認められる諸事実とも符合し、十分に信用することができる。被告人は、原審第一五回公判において、捜査官に対する自白は、以前に瀬川と同棲していた時のことや昭和五一年一二月三一日に同女と喧嘩別れをした際のこと、あるいはその後東友で同女と会い話をした時のことなどをつなぎ合わせたり、創作を加えたりして話をまとめ上げたものであつて、真実ではない旨供述する。しかし、右公判における供述は、先に挙げた被告人の捜査段階における各供述調書、上申書その他の各証拠に照らし、到底信用することができない。所論の指摘する大橋とも子の証言を考え合わせても同様である。原審において検察官が論告の際に「被告人が被害者を殺害しなければならないような状況は認められず……」と述べているのは、被告人が被害者を殺害するのもやむを得ないとみられるなど特段の事情が認められず、それにも拘らず本件犯行に及んだことからして、犯行の動機、経緯に同情の余地はないことを述べたものであつて、被告人の本件犯行自体に疑問を抱くべきものとする趣旨ではない。また、所論の指摘する山本達雄検事の証言も、取調の際において、被告人の犯行動機に関する供述には首肯し難い点があつたという趣旨を述べているにすぎず、犯行自体に疑問が持たれたという趣旨では決してない。

なお、所論は、安田春男作成の昭和五二年九月八日付鑑定書によれば、瀬川の血液中に相当量のアルコールが含有されていたことが認められ、他の各証拠によれば本件当夜瀬川は勤務先では飲酒していないとみられるから、五月一八日午前二時すぎ以降において相当量のアルコールを摂取したものと考えられるところ、被告人の自白には瀬川の飲酒のことが全く述べられていないのであるから、右自白は事実に合致せず信用できないものであるとする。しかしながら、齊藤銀次郎作成の鑑定書によれば、本件犯行の翌日である昭和五二年五月一九日瀬川の死体解剖をし、同日その心臓血液についてエチルアルコールの存否を化学的に検査したところ、その成績は陰性を示し、エチルアルコールの存在は証明されなかつたというのであり、また、原審における証人梅沢荘三郎、同武井和彦、同大橋とも子の各証言によれば、瀬川はアルコール類をほとんど口にしなかつたというのであるから、本件の当夜も瀬川は特に飲酒することはなかつたものと認められる。もつとも、所論指摘の安田春男作成の鑑定書によれば、前記解剖の際採取した瀬川の血液を検査したところ、アルコールの含有が認められ、その含有量は血液一ミリリツトルにつき一・三五ミリグラムであつたというのであるが、右鑑定書の記載からは、当該血液を昭和五二年五月二六日に受領したというだけで、検査をした日時が明確でなく、鑑定書の日付は同年九月八日となつており、前記の齊藤鑑定書や梅沢、武井らの各証言と対比し、また、当審で取調べた木村康作成の昭和五六年七月一日付鑑定書によれば、死後の経過時間が長くなるにつれてむしろ生前の飲酒量を上廻るアルコール量が検出されることがあるとされていることをも考え合わせれば、右安田作成の鑑定書に記載された数値は、被害者の生前の飲酒量を正確に示すものではなく、なんらかの誤りによるものと認めるのが相当である。従つて、被告人の捜査段階における自白に瀬川の飲酒のことが述べられていなくとも、別段奇異とすべきではなく、右自白が不合理であり事実に反するものということはできない。

以上のとおりであるから、犯行の直接の動機や経過に関する原判決の事実認定になんら誤りはなく、論旨は理由がない。

3  さらに、所論は、原判決は本件犯行の手段を両手による頸部圧迫による窒息死、即ち扼殺と認定しているが、各証拠によれば被害者の死亡は紐様のものによる絞殺と認められるのであり、この点においても原判決には事実誤認がある、という。

そこで、判断すると、被告人作成の昭和五二年六月七日付(二枚綴りのもの)、同月八日付各答申書、被告人の司法警察員に対する昭和五二年六月八日付、同月一〇日付、同年八月二六日付、同月二七日付、同月二九日付、同年九月二日付(二三枚綴りのもの)、検察官に対する同年八月三一日付、九月六日付、同月八日付各供述調書、被告人作成の同年九月一一日付上申書、司法警察員作成の検視立会報告書、昭和五二年五月二八日付実況見分調書、原審における証人齊藤銀次郎の証言、同人作成の鑑定書(以下、右証言と鑑定書とを合わせて単に齊藤鑑定という。)等の各証拠によれば、被告人が原判示のとおり瀬川の頸部を両手で力一杯絞めつけ、そのため瀬川が頸部圧迫による窒息によつて死亡したものであることを明らかに認めることができる。被告人作成の各答申書や上申書、被告人の各供述調書に記載された自白の任意性が認められることは、前述したとおりであり、前記齊藤鑑定や検視立会報告書等は右被告人の自白の信用性を十分に裏づけるものということができる。特に、被告人の検察官に対する昭和五二年九月八日付供述調書には、両手で首を絞めた際の状況が詳しく記載されており、「その時の指の感じは何か柔らかいものをつぶしているようでした」との供述が記載されているのであるが、右の供述は、前記鑑定書に記載されている頸部内景の甲状軟骨左上角骨折という創傷に符合するものとみられるのであり、そのことは被告人の自白の信用性を肯定すべき強い理由になるものといわなければならない。もつとも、所論指摘のように、齊藤鑑定は、手による扼殺であることを断定しておらず、布片様のものないしは手のようなものによる頸部の圧迫が死因であるとしており、検視立会報告書や死体検案調書等には、検視立会や死体検案をした医師らが被害者の死因を絞頸による窒息死と推定した旨の記載がなされているが、これらによつても被害者の頸部に索溝があつたかどうかは不明瞭であるとされており、本件が絞頸であるとまで認定することはできず、前記被告人の自白その他の各証拠による事実認定を左右することができない。また、当審における証人内藤道興の証言も、原審で取調べた証拠の域を超える新たな見解を示すものではなく、原判決の事実認定を左右するものではない。

以上に対し、当審で取調べた木村康作成の昭和五六年四月二一日付鑑定書、同人に対する証人尋問調書(以下、右鑑定書ならびに証人尋問の結果とを合わせて木村第一鑑定という。)によれば、右木村鑑定人は、本件被害者の死因につき、細長い布片様のものにより絞頸されたことによる窒息死であると鑑定していることが明らかである。そして、右木村第一鑑定は、前記昭和五二年九月五日付実況見分調書添付写真13のような方法(被告人の実演によるもの)によつては、被害者の頸部にみられるような細長い圧痕は形成されないとするのである。そこで、右木村第一鑑定と前記齊藤鑑定、内藤証言などを対比させ、関係各証拠を総合して検討すると、(イ)先ず、齊藤鑑定は被害者の死体を直接観察し、解剖をも行ない、それらに基づく判断の結果を示したものであるのに対し、木村第一鑑定は本件の記録や写真を資料とし、それに基づく判断を示したものであり、両鑑定の評価についてはそのことを第一に考慮しなければならない。(ロ)木村第一鑑定は、記録中の関係各写真によれば、被害者の頸部には、右側頸部の項部付近からはじまり、前頸部の上界を通り左側頸部に至る蒼白帯があり、また、左側頸部から前頸部にかけて前記蒼白帯の下部に別個の蒼白帯があり、これらの蒼白帯がいずれも索溝と判断されるとしているのであるが、斉藤鑑定はそのような索溝の存在について全く言及しておらず、前記内藤証言や検視立会報告書によれば、内藤証人が死体の検視に立会つた際、被害者の左右側頸部から前頸部にかけて紫色がかつた褐色のような変色部分が認められたとはされているものの、索溝らしいものの存在は非常に不明瞭であつたというのであり、木村鑑定人自身も、本件の死体の場合索溝を認めるかどうかは非常に難かしい問題であると証言していることなどの諸点からすれば、木村第一鑑定が前記のように索溝の存在を肯定している点は、にわかに採用することができないものというべきである。(ハ)また、木村第一鑑定は、記録中の各写真によれば、被害者の後頸部に頭髪の束による圧迫痕とみられるものがあり、これは索条が頭髪の上から後頸部を圧迫したために生じたものと推定されるとし、そのことを索条物が被害者の首を一周し絞頸したものと判断される大きな理由としているのであるが、齊藤鑑定や内藤証言も被害者の後頸部に髪の毛の圧痕のようなものがあることを認めていながら、木村第一鑑定のような推定はしていないこと、内藤証言にもみられるように、後頸部に頭髪の圧痕が生ずることは種々の原因によつて起り得るものであることなどの諸点からして、右木村第一鑑定の推論も容易に採用することはできないものと考えられる。以上のように、木村第一鑑定について種々考察すれば、本件被害者の死因を布片様のものによる絞頸であるとする同鑑定を直ちに採用することはできず、同鑑定によつても、原判決の事実認定に疑いを抱くべきものとは考えられない。

以上のとおりであるから、本件の犯行態様、被害者の死因に関する原判決の事実認定に誤りがあるとする論旨は理由がないものというべきである。

4  所論は、また、「被告人の自白の信用性について」と題し、種々詳論する。

しかし、所論のうち、先ず捜査の違法、不当をいう点は、事実誤認の主張に直接結びつくものではなく、被告人に対する当初の任意取調が違法なものといえないことは、控訴趣意第二についての判断の1において述べたとおりである。次に、所論は、被告人の自白が信用できないものであるとし、その理由として、自白の重要な内容について多くの不自然な変遷があるとか、自白内容が必ずしも詳細、具体的とはいえないとか、客観的事実と矛盾するとか、供述内容が不自然であるなどと主張する。しかしながら、先にも述べたように、被告人の捜査段階における自白は、原判決の認定事実に添うかぎりにおいて十分に信用できるものというべきであり、所論指摘の諸点を考慮しても(本件当日における被害者の帰宅時間および被告人の同女宅訪問時刻の点については、控訴趣意第一に対する判断の2において検討したとおりである。)、右自白とその他の各証拠とを総合して本件が被告人の犯行であるとした原判決の事実認定に誤りがあるとは考えられない。原判決が「有罪と認定した理由」と題し、その二の(三)において被告人の自白の信用性を認めるべき理由につき説示している諸点は、すべて証拠に照らし相当として是認しうるところである。若干付言すると、犯行後の偽装工作に関する自供の点に関し、所論は、被告人が煙草のラークをベツドの棚に置いたというのは、ラークは被告人が好んで喫つていた煙草であるから自己を犯人と示すようなものであつて偽装工作としては不合理である、というのであるが、被告人の各供述調書によれば、被告人はむしろセブンスターを多く喫つていたのであり、本件の犯行当夜も瀬川方でそれを七、八本喫つたというのであるから、ラークが直ちに被告人に結びつくことにはならず、従つて、ラークが現場に置かれていたという事実は所論のように被告人が犯人でないことを示すものであるということはできない。

また、所論のテイッシユペーパーの関係についていえば、原審で取調べた鑑識課長作成の指紋確認通知書、原審証人渡部達郎の証言、当審で取調べた右渡部作成の「高輪二丁目マンシヨン内女性殺人事件現場のカトレヤテイツシユペーパー付着の掌紋について」と題する報告書、早崎寛作成の鑑定書、木村康作成の掌紋検出の可能性についての鑑定書、右木村に対する証人尋問調書(以下、右鑑定書と証人尋問の結果とを合わせて木村第二鑑定という。)等の各証拠によれば、本件瀬川の死体発見後、同女方居間の本棚にあつたカトレヤ・テイツシユペーパー入りのビニール様の小袋(材質はポリプロピレン)に被告人の左手小指球部の掌紋が検出されたこと、右のようなビニール様の袋に付着した掌紋が識別されるのは、通常付着してから一か月くらいが限度であり、約六か月も経過した後においてはその識別が不可能とみられることなどの諸点が一応認められ、右の諸点がそのとおりであるとすれば、証拠上右の掌紋付着は本件犯行当夜生じたものではないかと推測され、被告人を犯人と認定すべき有力な証拠になるものと考えられる。しかし、前掲各証拠のうち、渡部達郎作成の報告書や早崎寛作成の鑑定書は、いずれも原判決後の昭和五四年一〇月に作成されたものであり、何故もつと早い時期に作成されなかつたのかについて若干疑問が持たれること、本件発生当時、瀬川方居室内には、前記のような小袋入りのもののほかに、通常の箱入りのテイツシユペーパーが、容易に使用できる状態でいくつか置かれてあつたことが明らかであり(昭和五二年五月二八日付実況見分調書添付の写真27、79、88参照)、被告人の捜査官に対する各供述調書ならびに昭和五二年九月五日付実況見分調書によれば、被告人が本件犯行後煙草のすいがらをまとめて捨てるためにテイツシユペーパーを用いたことは明らかであるけれども、前記小袋入りのものを用いたのか箱入りのものを用いたのかについては被告人の供述が明確でないこと、前記早崎寛作成の鑑定書に添付された拡大写真(第二図)によれば、前記小袋に検出された掌紋はかなり明瞭に識別できるのであり、右写真と木村第二鑑定とを合わせてみると、右掌紋付着の際その掌には汗や脂などが特に多く付いていたのではないかと考えられ、その理由としては、本件当夜被告人が被害者の頸部を両手で強く絞めたためであることが考えられると共に、被告人が昭和五一年中に瀬川方を訪れた際、男性用化粧品などを手に取つて用いたりしたことなども想定できる(そのために通常よりも長期間掌紋が消失しなかつたとも考えられる。)こと、以上の諸点を総合すれば、前掲の掌紋に関する各証拠によつて、右掌紋が本件犯行当夜被告人によつて付着せしめられたものと断定することはいささか疑問というべきである。しかし、前記のとおり、被告人は小袋入りのテイツシユペーパーを用いたのか箱入りのものを用いたのかについて明確な供述をしていないのであるから、ビニール小袋入りのものをわざわざ用いそれに掌紋を遺留したのは不合理であるとして被告人の自白の信用性を否定すべきものとする所論は、前提において失当であり、採用することができない。

また、所論は、犯行後自殺しようと考えているうち牛丼を食べたという被告人の自白を不合理なものであるというが、被告人は、自殺しようと考えながら牛丼を食べたと述べているのではなく、「自殺を考えて相当時間さまよい歩いたが、死ぬ勇気もなく、昼近くに喫茶店に入り新聞を見て記事が載つていなかつたことから、まだ発見されていないと思い、安心から空腹を感じ、牛丼を注文して食べた」旨供述しているのであるから(五―1174以下)、右所論も前提において失当といわなければならない。

次に、ポリグラフ検査とネグリジエの色の点に関する所論について判断を加えると、原判決はその判示のとおり、渡部達郎の証言によつて、被告人がポリグラフ検査をうけた際、被害者の着用していたネグリジエの色が黄色であると答えたことを認定し、これをもつて被告人が犯行当日被害者方を訪れたことを推測させる言動であるとしているのであるが、右原判決の認定ないし判断に別段違法、不当な点はないというべきであり(伝聞供述あるいは再伝聞供述であつても、当事者が異議を申立てたりしない場合には、その供述を事実認定の資料として差支えないと解される。)、当審における事実取調の結果によつても、原判決の右認定ないし判断に誤りがあるとすることはできない(当審における証人竹野豊の証言と同山崎雅規の証言との間に若干のくい違いはみられるものの、被告人がポリグラフ検査をうけた際、あるいは同検査をうけようとした際、被害者の着用していたネグリジエの色が黄色かそれに近い色であることを知つていると述べたため、その点に関する個別的な質問検査が行なわれなかつたという点では、両証言が一致しているのである。)。

また、原判決が説示している赤いタオルの件についても、原判決の認定ないし判断に別段誤りがあるとは考えられない。被疑者が犯行の大要を自白しながらも細部については供述を拒みあるいは事実を隠蔽するという例はままみられることであり、「ちよつと口をすべらして尻の下に赤いタオルを敷いたというので、赤いタオルについて話を始めたらすぐに供述をひるがえしちやつた……」という所論指摘の渡部証言が不合理なものであるとは考えられない。

以上のとおり、所論の諸点によつても、原判決が被告人の捜査段階における自白の信用性を認め、原判示の事実を認定した点になんら誤りはなく、論旨は理由がない。

5  所論は、原判決が、被告人は虚偽のアリバイ工作をしたうえ、警察に出頭して虚偽のアリバイ主張をことさら真実であるかのように述べたものであると認定している点につき、事実誤認であるとし、また、原判決が被告人のアリバイは成立しないとしている点も誤りであるとする。

しかしながら、所論の指摘する原判決の事実認定ないし証拠上の判断は、その掲げる各証拠に照らし正当というべきであり、それが誤りであるとは決して考えられない(所論の野口真一の検察官に対する供述調書は、日時の明確化という立証趣旨に限つて取調べられているものであるが、原判決もその立証趣旨の範囲内で右供述調書を事実認定に用いているものとみることができる。)。被告人の原審公判廷における供述中、所論に添う部分は、原判決の掲げる各証拠に照らし信用することができない。被告人のアリバイ主張が認められないことは原判示のとおりである。

6  そのほか、所論は、「被告人は真犯人ではない」と題し、本件発生直後被告人の身体になんら外見的異常がなかつたことは、被告人が犯人でないことを明らかに物語るものであるとか、警察に被告人が犯人であることを密告した電話がなされているから、他に真犯人がいるとか、本件発生後の被告人の行動からみても、被告人が真犯人であるとは考えられないなどと種々主張するのであるが、所論の諸点を考慮し記録を検討しても、原判決の事実認定に誤りがあるとは考えられない。

以上要するに、原判決の掲げる各証拠を総合すれば原判示どおりの「犯行に至る経緯」ならびに「罪となるべき事実」を十分に認定することができるのであり、原審で取調べたその余の証拠ならびに当審における事実取調の結果を考え合わせても、原判決の事実認定に誤りがあるとは考えられず、事実誤認をいう論旨はすべて理由がない。

よつて刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における未決勾留日数中九〇〇日を刑法二一条により原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例